さて、報告が遅れましたが、調査事項「生涯学習計画」について議論した、先週水曜日(7日)の生活文教委員会です。
最初に計画づくりを所掌する社会教育課長から9月以降の進捗状況とそれに伴う資料が1~7まで示されました。その上で「意見を」とのこと。
石橋博委員(自民)が「前回よりも整理された感がある」と優しく口火を切りました。しかし、続いた言葉は前回同様にかなり手厳しく…
「23年度に進めたという庁内検討会議の全体的な検討経過がわからないのでもう少し具体的に詳しく説明を」「学校教育に触れた部分も議論が足りないのではないか。学校教育は生涯学習する力の基礎作りであり、自立した学習者を育てることが大きな柱。そういう視点が見られない」「現状と課題について、もっと突っ込んだ議論をしてほしい。踏み込んだ検討することを望む」等々というものでした。
また、庁内の検討経過への問いに対して「当初は生涯学習のイメージが湧かなかったが、数を重ねていくうちに理解してもらえた」と課長は答弁していました。
確かにそうだろうし、だからこそ新たに設置した協議会や各種関係会議での議論を丁寧にやらなければならない、ということだよね、と思いながら聞いていました。
続いて私。「前回の委員会における議論は、どう反映されたのか?」「この場で意見を言うことがどう活かされるのか、活かされないのかが疑問だ」と切り出しました。
なぜなら、9月の委員会において様々な質疑の上で、「進捗状況から考えて、今年度内策定には無理があるのではないか」という指摘が複数の委員からなされたことに対して、市長が「おっしゃる通り、形だけの計画では意味がない。今日のところはこのまま進めさせてほしいが、進捗を確認しながら、場合によっては軌道修正も考えるようかと思う」旨の答弁をしていたにもかかわらず、そんなことはなかったかのような説明が課長からされたからです。
また、9月の議論があった直後に設けた「生涯学習協議会設置規則」の中で、「この規則は平成25年3月31日限り、その効力を失う」と明記。
9月議会での議論はなんだったのか?と誰もが思うような話です。
課長からは「事務局としては市の実施計画の中で25年3月までに策定する、とあるので…」と答弁がされたので、10月26日に第1回を開いた協議会は当初予定ではいつ設置するはずだったのか?と問いました。
すると、いろいろ理由は述べられましたが、要は「今年3月だった」とのこと。7か月遅れ、ということがわかりました。
静岡県掛川市が生涯学習を柱に据えたまちづくりに切り替え、時間をかけて大きく変貌したことはつとに有名ですが、榛村市長が生涯学習宣言都市宣言をしたのは1980年前後だったはず。もう30年以上前のことです。
10年ものの計画の第2次、第3次という自治体が多い今、東村山では市政全般を包括する初の「生涯学習計画」をつくろうという話です。
関係各所の部分部分の声をつまみ食いしてまとめるような計画ではなく、「東村山市としての生涯学習とは」つまり「定義」 について、生涯学習協議会を中心に広範な方たちが豊かに語ることからスタートしてほしいと改めて申し上げました。
教育長からは「9月に確かに市長はそう答弁されたが、23&24年度の2か年でと実施計画にはあるので努力したい。ただ、3回の(協議会の)会議で十分な論議ができるとは考えていない。実施計画の毎年度ローリングで今後検討するので、出された意見を踏まえた上で、延ばすかどうか検討したい」という答弁がなされました。
未来を見据えたまちづくり、人づくりに、大きな影響を与える計画だと強く思いますので、市民がしっかり使える中身のある計画となるよう、嬉々として、魂込めて仕事してほしいんですよね。
引き続き追いかけていきたいと思っています。