改善。だけど、どうなんだろう?

市は、★市役所内の飲料自販機の設置場所を借り受ける事業者を公募★しています。

これは長年にわたって市内の福祉団体が無競争で借り受けて、電気使用料以外の収益を活動費の一部にしてきた慣行に対し、数年前に朝木議員が「既得権だ」と指摘したことが大きく、段階的に競争原理を導入することになったものです。

この件については朝木議員の指摘ももっともだと思いましたし、他の団体も参入できるよう改善されるといいな…と思いました。

ところが…です。

既に本庁舎地下1階やいきいきプラザ等の自販機設置場所は公募による選定に移行していますが、現実には、他の市内団体ではなく大手ベンダー(自販機業者)が受注しています。

選定にあたっては公平性・公正性が求められ、市民の財産である公共施設内に自販機を設置して利益を得るわけですから、優劣の判断は最も高い値段で借り受ける事業者を選定する、ということになります。

市の財政や公平性・公正性からすれば適正化されたと言えると思います。

一方で、障害者優先調達推進法などを考えると、本当にそういう考え方しかないのかな…という思いも湧きます。期間を決めてかわりばんこに…というのはダメなのかな?

自販機の設置も管理も自前で行うので、実際には手を挙げる団体がどれだけいるのかもわかりませんが…。

どうお考えになりますか?

【専決処分で給付決定】

国による住民税非課税世帯への10万円給付に必要な一般会計補正予算(第6号)を1月6日付で専決処分した旨、市長名で全議員へ文書が配られました。総額22億3,200万円は、12月議会最終日に議決した補正予算第5号の子育て世帯への給付金とほぼ同額であり、大きな金額です。市としての事務作業がまた大変だと思いますが、速やかに必要な方に行き渡るよう取り組んでもらえるものと思います。

専決処分というのは、本来は議会に諮って議決により執行すべき事柄を、首長の一存で決めることを言い、地方自治法でその要件を限定しています。今回は「179条第1項(画像はe-gov法令検索より)」の中の「普通地方公共団体の長において議会の議決すべき事件について特に緊急を要するため議会を招集する時間的余裕がないことが明らかであると認めるとき」にあたる、と判断したものと思われます。

「e-gov法令検索」より

かつて、ある地方都市で市長が議会を開かずに次々と重要案件を「専決処分」し、大きな問題となったことがありましたが、一昨年からのコロナ禍では、国が決めて地方に実施を求めてくる事業が増えたこともあり、多くの自治体で専決処分が行われています。

一方で、専決処分を認めることは議会の存在意義そのものを否定する行為であるとして、全く認めない、あるいは極力認めない姿勢で臨んでいる議会もあります。これらを可能としている議会の多くは通年的な議会運営を行っており、いつでも議長の権限で議会を開けるようにしているところです。

東村山市議会でも数年前にその方向を目指していいところまで議論しましたが実現に至らなかった経過があります。

今回のコロナ禍で東村山市議会では、国が決め、必要な財源は100%国が持って全国一律に実施する事業に限っては専決処分もやむを得ない、というのが大枠のコンセンサスになっています。

今は市長が議会出身で議会の存在を重視する人なので紳士協定が守られた形になっていますが、今後どのような考えの人が市長になるかわからないことを考えると、議会の招集権を議長が握り、「緊急を要するため議会を招集する時間的余裕がない」とは言わせない議会運営を目指すべきだと私は考えています。

議会の差は市民幸福度の差へ

今年最初のNHK「おはよう日本」特集で、いきなりの「議会愛」の文字と共に取手市議会事務局の岩崎次長さんの登場にビックリ!

先駆的な取組み、それを支える事務局のチカラ、まさに「チーム議会」。

▷以下、岩崎さんの言葉

「議会に関心を持ってもらいたい」

「妊娠、出産、介護、育児、疾病などで議場に来られない時に、オンラインなら出席できるのであれば、”議員を目指そう””自分で(活動を)行える”と考えられる人が増えるのではないか」

「議会の中に市民がいる。市民の中に議会がある」

「議会を愛するのは市民を愛する イコールだと私は思っている」

「全国の議会が愛に包まれる。そしていろいろな人がいろいろな発言できる議会。全国的に広がることを実現できるように進めていきたい」

※NHK+のコチラ30分過ぎから

▷後半は徳島県那賀町議会。

議員間の自由討議を起点に、住民との対話を重ね、その結果を議員提案条例等で政策提言へと繋げている好事例。議会が主体となった政策形成は、放送でも紹介された大津市議会や、会津若松市議会、可児市議会等、各地で本気になって取り組まれ、具体的な成果に繋がっています。

▷翻って、現在の東村山市議会。今日の放送を観て、25人はそれぞれにどう受け止め、考えるのだろう?

なぜ、なんのために「市民に開かれた議会」を掲げて議会基本条例を25人中23人の議決で制定し従来のルールを議論を重ねて大きく変えてきたのか。(反対した二人は、一貫して与党か野党か、敵か味方かしか頭になく、チーム議会なんて冗談じゃないという人たち)

なぜ、なんのために市民の前に全員で出掛けて行って議会報告や意見交換を重ねてきたのか。

なぜ、なんのために質疑と答弁は聴いていてわかりやすいように一問一答方式に変え、傍聴する人に名前や住所を書いてもらうことをやめたのか。傍聴席での録音や録画をフリーにしたのか。

なぜ、なんのために全国の議会からの視察を自分たちの学びの場として受け止め、準備し、受入れ、経験交流と対話を行ってきたのか。

▷人口7千人の町・那賀町議会では全議員が普通にタブレットを使って仕事をしている様子が映っていました。ところが東村山市議会では「贅沢品だから導入はまかりならん」「私は使わないから要らない」「市民の暮らしが苦しいのに…」と言い、タブレット導入を理由に議会報告会をボイコットする議員が複数出る始末。

便利な道具は最大限活用して仕事の有りようをどんどん進化させていくことに力を割くべきなのは言を待たないはずです。

先に書いたように、取手市議会や大津市議会は、どんな時でも議会を止めないよう、登庁できない時でも議論に参加できるよう、ICT化を進め、オンライン議会実現に汗しています。タブレットやクラウド型のオンライン会議システムはしょせん道具であり、議会として設備を改めるという話。

これに反対する議員の主張は、私には「これまで通りの仕事ぶりを変えたくない」「忙しくなるのはごめん」「議員活動はするけれど、議会としての機能向上に努力するつもりはない」と聴こえますし、4年間預かっている議席を自分のものだと勘違いしている「私物化議員」に思えて仕方ありません。

進化を止めない議会と、ガラパゴス化する議会。

前回も書きましたが、議会の優劣が住民の幸・不幸に直結する時代を迎えます。そのことを私たち議員一人ひとりが自覚し、議員活動以上に議会としての活動に汗し、もっと働き、もっと役に立つ議会に変えなければならないと私は考えています。

2022年初頭に思う

明けましておめでとうございます。

年が明けて1時少し前、2年ぶりに地元の金山神社と廻田不動尊光明院へお詣りに。

金山神社
廻田不動尊

寒風吹く中、地元の社寺委員会の方たちが参拝者を迎えてくださいました。コロナ禍で地域のイベントがことごとく中止になったこの2年。今年こそは顔を合わせてできるよう、心をこめて祈ってきました。

明けて元日の朝。娘たちがそれぞれに夫くんの実家でお正月を迎えるようになって数年。朝起きるとTVでニューイヤー駅伝の中継をしているので、あ、元日だな…という感じで、お雑煮でせめてものお正月気分。

今日(2日)は年末に仕込んであった膾がいい塩梅にできたので、父と母の写真の前に供えました。父方の祖母からうちの母へと伝え残された佐藤家オリジナル的な料理が二つだけあって、その一つが大根と人参を千切りではなく短冊切りにし、鮭を加えたこの膾です。母が亡くなる数年前にレシピを教えてくれと言ったら、目分量だからそんなものはないよ、と笑っていました。

5月のコロナ入院で落ちた体重も体型も半年かけて戻り過ぎました。心身のコンディション管理は大きな課題です。

元日だけじゃ意味がありませんが元日すらやらなければ話にならないと思い、速歩きとゆるランを適当に繰り返しながら多摩湖を往復してきました。強風で白波が立つ湖面の向こうには真っ白な富士の嶺が。元日だけにならぬよう、戒めとして体重を公開しておきます。

1月2日の今日は、昨日と打って変わって風も無く暖かくて、堤の上にはランニングやサイクリングの方も多く、凧揚げをする親子も見られました。

年の初めに思うことを少し書き残しておきます。

自分と違う考えを「違い」ではなく「悪」と捉え、あらゆることを敵か味方か、与党か野党かで扱う議員が増えたここ2年半。東村山市議会は今、大きな曲がり角にあり、ここ10年の議会挙げての取り組みが水泡に帰しかねない大ピンチにあります。

それは同時に、私自身の姿勢…他者から謙虚に学ぶこと、違いに寛容であること、経験則や感情に走らず憲法や法律など客観的根拠を持った主張を行うこと…が問われていることであり、経過の中で反省することも多々あります。

議会はもともと議員たちが行政の追及と手柄合戦に明け暮れ、有権者に評判の悪いこと…増税や公共料金値上げや施設の廃止等は首長や賛成した議員のせいにするという「他責文化」が大手を振って歩いていたところです。

しかし、もはや右肩上がりの社会ではないので、誰が市政を担っても、良い話ばかりができるわけはなく、負担増や廃止等が避けられないことも明らかです。

「議論して決める」ことが議会としての最大の責務です。十分な議論を行った上で、最後は決めなければ前へ進めることはできません。話し合いが整わなければ決めなくてよい、とする議員が増えていることも大変気になっています。

議決する、議決したことに対する責任と、住民に対する説明責任を果たさなければ議会は要らないと言われる時代になっています。この危機感を議会内で共有し、変革を遂げなければいけない。そういう思いでここ10年、取り組んできました。

本気で変わった議会が全国にたくさんあり、今後はそうでない議会、自治体との差がどんどん広がっていくことになります。それは、住民にとっての幸福度の格差に繋がっていきます。

うまくいかないことは他者のせいにして、批判と追及さえすればよい、という無責任な議会をどうしても変えていきたい。

正義は10人いれば10通りあり、殆ど意味がありません。

正義より公正。JusticeよりFairness。

他責文化から自責文化へ。

今年も当事者の声をしっかり聴いて、自分で考え、動き、発信し、制度や環境の改善に繋げられるように努力していきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

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