ひのスノーマンと愛ing下条との30年

一昨日(8日・土)の夕刻、日野発の車に同乗させてもらい、降りしきる雪の中を走って走って、新潟県十日町市下条で開かれた「下条と日野の交流30周年を祝う会」に出席させていただきました。

対等に都市間交流ができる相手を探す目的で、下条地区の皆さんが初めて「ひの社会教育センター」に来られたのは1991年の初秋の日でした。当時、私はセンター職員で28歳。

11月には先輩職員と共に下条を訪ね、現地をくまなく案内いただき、何ができるのかについて相談を重ねました。

その結果、センターの事業としてではなく、青少年事業をサポートしてくれていた若者たちを中心に、新たなグループ「ひのスノーマン」を立ち上げ、札幌雪まつりと同じ年に始まった「十日町雪まつり」の雪像づくりに挑戦することになりました。

あれから33年。

コロナの影響で3年ほど休止となった以外は30年にわたり、雪まつりが開かれる一週間前の土曜から次の金曜夜の審査員審査までの7日間、東京周辺から入れ代わり立ち代わり下条へと向かい、雪像づくりを続けてきました。

同時に、センターの事業として、小学生対象の「ゆきんこ自然学園」を企画したり、「下条っ子の東京ミニ留学」を受け入れたり、日野のバザーに下条の皆さんがバスで応援に来てくださったり…四季を通じて様々な交流を重ねてきました。

私は14年勤めたセンターを1999年夏を最後に離れましたが、この雪像づくりだけは個人的にずっと関わり続けることができました。

33年間で仲間が仲間を呼び、皆勤賞も、ほぼ毎年も、飛び飛びも、一度だけの人も…顔ぶれとしてはいったいどれほどになったのでしょう?200人?300人?もっとかな?

そして今、10代から20代だった私たちはアラフィフやアラカンとなり、私たちより年上だった下条の皆さんは70代から80代になられました。お亡くなりになった方や療養されている方もいらっしゃいますし、スノーマンの屋台骨のような存在で参加が叶わなかった面々もいるのですが、33年の間に生まれた子どもたちが親に連れられて参加してきたので、4歳から10代、20代、30代、40代とすべての世代、双方で総勢90人近くが一堂に会しました。

交流開始時から下条の柱としてみんなを巻き込み、私も大いに育てていただいた藤巻誠さんの熱いご挨拶で始まった祝賀会。「共に汗し、人となりを知ること。交流には終わりません。この時が到達点、この時が出発点です。」と。

30数年のお付き合いになった下条の方々、長い長い繋がりの友人たち、渡邊十日町市教育長さんらご来賓、そして何より誰より、この日のために一年近く準備を重ね、素晴らしい宴も記念誌もつくってくださった方たちには感謝しかありません。

ずっと変わらない風景、匂い、「おお、まさたかくん、おかえり!」と迎えてくださる皆さんの笑顔に胸がいっぱいになり、自分は何をしゃべったのかよく覚えていません。

この輪の中に居させていただけることは、間違いなく私の人生の宝物。深く真っ白でふっかふかの雪がすべてを包み込んで祝福してくれているように感じました。

昨日(日曜)朝からは31回目の雪像づくりに加わり、ほんの短時間なのにヘロヘロ。でも楽しかった!

雪像の完成は金曜日。

みんな気をつけて作業を続けてください。朗報を待ってます(^^)/

僅か36時間ですが、なんと濃密で、忘れ得ぬ旅であったか。どうも ありがとうございました!

コメントは受け付けていません。