荒井浩副市長退任

16時半頃、御用納めの日恒例の庁内放送がありました。以下、放送を聞き書きしたメモです。★全文は後刻、市HPのコチラにアップされると思いますのでご覧ください★

渡部市長より)

ご来庁の市民、職員の皆さんへ、一言ご挨拶を。今年も残すところ4日、市政推進へのご理解とご協力に厚く御礼申し上げます。

今年は1817年以来200年ぶりに譲位、平成から令和へ歴史的な節目。新元号の令和の文字に新たな希望を託した一年。皆さまにはどのような一年であったでしょうか。

4月の選挙で多くの皆さまからご支持をいただき、4期目に入りました。市の新時代を築き上げなければならない責任の重大さを感じ、誰もが希望を持って暮らせる、持続可能な東村山へ決意を新たにしました。

東村山となって130年、市制施行55周年の節目の年。先人の苦労を学ぶと共に5つの計画の策定を通じて30年、50年、100年先まで思いを巡らす年となりました。

長らくお待たせした都市計画道路3・4・27号線(さくら通り)が7月に開通したことが大きな出来事でした。市内の3つの中心核のうち、東村山駅東口と新秋津駅南口が結ばれたことで大きな効果をもたらすもので今後も3・4・5号線や3・4・10号線等を推進していきたい。

鉄道連続立体交差に伴って東村山駅が地下通路に替わりました。長年愛された駅舎は閉鎖され、今後解体工事に入ります。新しい街へと変貌していくことが強く印象付けられる年でした。

災害が大変多い年でもありました。全国的には地震、台風15号、19号で多数が亡くなるなど甚大な被害。当市では人的被害はありませんでしたが、浸水被害が12件発生。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りし、お見舞い申し上げ、復旧復興をお祈りしたい。

5月には防災ナビをスタートさせ、台風時には災害モードを起動させて実用化が図れました。風水害や首都直下型地震に備えて防災・減災対策の強化を図っていきます。都市の強靭化を図ることが極めて重要です。迅速かつ的確に備え、河川の改修、浚渫、都市計画道整備を進めるとともに、自ら命を守る自助、共助の啓発も進めたい。

2020年はオリンピック・パラリンピックが開催されます。当市では、志村けんさん、平沢保治さんが7月14日のリレーランナーに選ばれました。市民の心に残る日とすべく、準備を進めていきます。全庁一丸でリレーとセレブレーションを成功させましょう。

12月31日をもって荒井浩副市長が退任されます。平成24年1月1日以来、8年間にわたって私を補佐し、政策立案に大きな力をふるっていただくと共に、都の経験をもとに職員育成などあらゆる面でバージョンアップに貢献いただきました。心より感謝申し上げたい。健康に留意して、引き続き市政に助言を賜りたい。

1月1日からは野崎満副市長が誕生し、新たな理事者体制になります。市民の皆さま、職員の皆さんと力を出し合って扉を開いていきたい。ご理解とご協力を。来る年が実り多い素晴らしい年となるよう祈念して挨拶としたい。

荒井副市長より)

12月31日をもって退任することになった荒井です。8年間にわたって市役所の一員として務めることができた。ありがとうございました。

8年間で渡部市長のもとでハード・ソフト共に大きく前進しました。堅実な財政運営のもと、耐震化、リサイクルセンター、3・4・27号線の開通、みんなのまちづくり条例の協働原則に基づいて、包括施設管理、ジョブシェアセンター、民間提案制度など先駆的な実践が進みました。これは市役所職員の不断の努力の成果。職員がこれからも強い責任感と当事者意識をもって取り取み、自信と誇りをもって明るく、市長とともに笑顔あふれる東村山のために進んでほしい。8年間、仕事をさせてもらったことは幸運で光栄でした。市長と多くの皆さま、職員の皆さまに感謝申し上げ、ご健勝でのご活躍をお祈りします。お世話になりました。ありがとうございました。

この後、17時15分から、荒井浩副市長の退任式がいきいきプラザ1階で行われ、多数の職員、議員等が見守る中でご挨拶があり、長い長い見送りの列をくぐり、市長車で庁舎を後にされました。

長い間、本当におつかれさまでした。ゴルフがご趣味とのこと。ぜひお元気で第三の人生を謳歌されますようお祈りしております。

蛇足だとは思いつつ、書き残すべきだと思うのでもう少し。

「心ある」という言葉についてです。

12月19日(木)市議会最終日にも、すべての議事が終了した後に荒井副市長のご挨拶が本会議場でありました。当然、すべての議員が残り、管理職中心に50余席の傍聴席もいっぱいでした。その際、「職員や市民など多くの方に支えられた」と話される中で「~と、心ある議員の皆さま」という言葉を2回?3回?ほど使われたことに、大変残念…というか、悲しい思いをしながら聴いておりました。

なぜ、この場で、こんな言葉を使うのだろう?と。

そして今日の庁内放送でも退任式でも、副市長ご本人はそうおっしゃらないにも関わらず、市長と議長は 退任式で、「心ある議員」(が来ているという意味なのでしょうか)を用いました。

これまでも、前の市長や元の議長らが好んで使う言い回しで、 内輪ウケを狙って発せられることが多く、確かに今日も笑いが一部で起きていました。しかし聞いていて全く気持ちの良いものではなく、その都度ザラザラした気持ちにさせられ、悲しさと腹立たしさに包まれます。この言葉は「心ない」と位置付ける者がなければ成り立たない言葉であり、意図せずとも「分断」や「差別」を助長するものに私には思えます。

多様な立場や考え方や意見がある(東村山の場合は)15万市民の反映である市議会に向けて言うということは、どういうことなのか。市長の議長もよく考えていただきたいと思うのです。

年の締めくくり、目出度い日に何を野暮なことを…とお叱りを受けるかもしれませんが、ひとこと言わずにはおれない気持ちで書きました。お許しを。

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