質問ちゃいまっせ、イチャモンでっせ

議会の「一般質問」は、「市の事務に関することについて」議員それぞれが自らの問題意識、関心事に従って問いを組み立て、事前に通告書を提出する。

ちなみに東村山市議会は、多くの議会で行われている、通告書を出したあとに担当課の職員が来て行う「聴き取り」とか「答弁調整」と呼ばれる作業は一切やらない。昔はやっていたと聞くが、良いか悪いかは置いておいて、少なくとも私が入った19年前も無かった。ゆえに、通告書には質問の意図や内容をかなり細かく書き込み、当日に質問してみて、初めて答弁がわかる仕組みになっている。


通告書を出すにあたっては、どういう答弁があるかを想定した上で、いくつかの材料を懐に当日までに再質問やその先を準備する。そう来たらこう、こう来たらこう、と。


それでも想定を超える答弁がいくらでも来るわけで、大事なのは、自らが考える改善、改革の方向性を示しつつ、質問を通じて執行部と対話をすることにある。

さらに重要なのは、自分がここは攻めどころだと思って質問したことに対して、根拠を示したしっかりした答弁で返された時だ。それを真摯に受け止めつつ、今度はさらなる根拠を示して再質問する番がやってくる。

ところが今日も、そこで行き詰まり続ける議員がいた。
なぜか?

結局、どんな答弁が返ってこようと、市がやっていることはダメだ、ダメな自治体だという自らの結論を言って終わりたいだけ。全くキャッチボールにならない。あれじゃ手間を掛けて答弁を用意する甲斐もなく、気の毒にさえなって来る。

質問に立つにあたって、法的な根拠や制度の中身、その問題の当市での変遷など、調べる気があればいくらでも調べられることを調べて臨んだのだろうか?先進自治体を引き合いに出すなら、ちゃんと調べて引っ張ってこようよ。同じテーマで過去に質問した議員がいるはずだ…と会議録を検索して目は通したのだろうか?

ピントのずれた再質問にも嫌な顔をせずに答弁した者に対して、「そうは言うが、私はそうは思いません」。
最後は、「これは質問ではない…」と言いながら、何ら新たな根拠を示すことなく、「私はそこが疑問だと思っている」で終わるなら、通告書を出して答弁を用意させてまで質問する必要がどこにあるのか?

自分の中の結論、自分の言いたいことを言うために、質問という形を借りているだけなので、やり取りから何か新しい価値や方向性が生まれるという感じが1ミリもしてこない。1期生ならいざ知らず。

これは質問ではない。
「一般イチャモン」と私は呼んでいる。

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