12月議会に提出され、最終日に議決した「都立高校入試に英語スピーキングテストの導入中止を求める陳情」。
生活文教委員会では賛成2:反対3で不採択になった、と委員長から報告があり、最終日の本会議で委員会の委員ではない3名(藤田、白石、佐藤)が採択すべし(陳情に賛成)の立場で討論を行いました。
結果は、議長以外の議員23人(1人欠席のため)のうち、自民党7人、公明党6人、無会派の鈴木たつお議員の計14人が反対、他の9人は賛成とし、賛成少数で不採択となりました。
私は以下の討論を行って採択を主張しましたが、通りませんでした。この問題を知れば知るほど、国際化とか英語教育とかとは関係のないところにこそ大きな問題があるのだと考えるようになりました。
【陳情の採択を求める私の討論】
グローバル化の進展の中で、英語教育の強化や、その結果の考査の必要性を否定する声は殆どないのだろうと思います。私ももちろん異論はありません。ですので、この件に反対の声があると初めて聞いたときは、最初から完璧な制度やシステムを求めることには一般的に言っても無理があり、移行期、過渡期にありがちな問題だろう、程度に正直言って思っておりました。
しかし、市内の方々のみならず、先日も小金井市でこの問題に取り組んでいる方にお会いして資料を示しながらのご説明を伺い、11月27日に実際に初めてのテストが行われたことの報道や、都議会議員連盟による実施状況調査の結果を見る中で、考え方を変えざるを得ない、というか、現実を踏まえれば、少なくとも、現状を追認して今年度の入学試験へ導入することには明確に反対すべきだと考えるようになりました。
理由は明確です。現段階でのスピーキングテストには解決されなければならない問題が多すぎて、入試に導入できる水準ではない、ということに尽きます。
大学入試制度や都立高校入試制度のこれまでの変遷などを見ても、過渡期の不利益はある程度やむを得ない、と考えますが、そんなことでは説明のつかないような課題、欠陥が次々と明らかになっています。実施前に懸念された点以上の問題が露呈したと言ってよい状況です。
テストにおいて絶対的要素である「公平・公正」を損ねる事実が、全197会場のうち125か所で指摘されていることに、東京都教育委員会は謙虚に向き合うべきです。
都教委がありえない、としている「録音を確認したら周りの声が大きくはっきり入っていて、自分の声としてきちんと正しく採点されるのか不安だ」といった子どもたちの訴えにきちんと耳を傾けるべきです。
テストを受けなかった生徒の扱いも理解に苦しむ不可思議な設計になっています。
中学校学習指導要領を逸脱した出題があった、という問題も、都教委自身の事前の説明と明らかに異なるという指摘がされていますが、教育長の回答には全く説得力がなく、中学生の声に向き合おうとする姿勢もありません。
繰り返しになりますが、人が作る制度や仕組みですので、最初から完璧ということはありません。大事なのは、事実、現実と真摯に向き合って、誤りがあれば立ち止まり、修正、改善を図り、実施に移し、また検証するという姿勢だろうと思います。しかし、先日の都議会で東京都教育委員会の教育長は、「適切に実施された」と繰り返すばかりで、具体的な課題指摘に対して何ら説得力のある答えを出すことはありませんでした。
そもそも、保護者や子どもたちだけでなく、我が国の英語教育に長く携わってきた専門家からも数多くの欠陥が指摘され、警鐘が鳴らされてきたにもかかわらず、東京都、都教委はなぜまともに向き合おうせずに突き進んできたのか、大きな疑義が残っています。
当市で学ぶ現在の中学生のことを思えば、市議会として、現段階での入試への導入は見合わせるべきという声を、実施主体である東京都に対して意見書をあげることが不可欠だと考えます。
古い話ですが、私が教員を目指していた少し前の1980年前半、都立入試が3科目から理科と社会を加えた5科目になったことで、中学校社会科は入試対策として暗記科目のように扱われることが増え、戦後に社会科が生まれた土台と言われる自由で深い学び、面白さが一気に失われたと言われたことを思い出します。
近年の英語教育を、小学校から学ぶようにしたのも、会話を重視した学びに力点を移してきたことも、国際語ともいえる英語を高い水準で使いこなせる人材の育成と共に、グローバルな社会でコミュニケーション豊かに生きていけることや、多少間違っていても思い切って話せることことも重要な要素としているのではないでしょうか。
ここは一旦立ち止まり、次年度以降に向けて、誰もが安心してテストに臨み、それをどうすれば不安なく入試に反映させることができるのか、またはできないのか。専門家の意見、そして当事者である子どもたちの声にもしっかり耳を傾けて、落ち着いた議論をやり直すべきと考えます。
以上、本陳情を採択すべきとする理由を申し述べ、ぜひ同調いただけるようお願いし、私の討論といたします。