見えない力を思う心

USTREAMによるライブ配信は、請願を出してくださった市民の方たちがいて、それを昨年6月に議会として採択したことが大きなきっかけでした。

そして、配信実現まで1年3か月かかったことへお叱りをいただくこともありました。

が、さらなる批判を覚悟で言うならば、本会議の録画配信すら異論がある中で22年12月に恐る恐る始めた議会において、編集のきかない生中継がこの段階で世界中に配信できるようになるとは、私にもとても思えませんでした。

民間ならば1年で進むことを10年かけるのが議会だ、と言われることもあります。
今、「それではいけない」という空気に議会はなっています。
しかし、議員が24名いれば、24の価値観、優先順位があって、「そんなことより…」と考える議員がいることも事実であり、それを否定したところで何も前には進みません。遅々としてでも確実に進むことが大事だと私は考えています。

議会としてのツイッターでの発信についても、ずいぶんと批判的な評論をされる方もあります。

しかし、公としての様々な制約の中、ツイッターもUSTREAMも早期に日の目を見たのは、早出をし、居残ってでも形にした議会事務局の頑張り以外のなにものでもありません。
また、単独部署としてツイッターの独自アカウントを取得し、6月議会に先駆けての配信開始にこぎつけたのは、議会事務局だけではなく様々な人たちの理解と後押しがあってのことだった、というのが私の理解です。

私は議員個人として「やりたい」から発信しているだけであり、続けるもやめるも自分次第です。
しかし、公的機関が新たなことを始める以上は、おいそれとはやめられません。
どのセクションもそうですが、人は減り、仕事は増える一方の中、新たな何かを加えて継続できるのかどうかの壁は、想像以上に高いものがあります。
10%加えるなら、10%減らす提案も合わせてしなければ無責任だ、と最近とみに思います。

様々な面で事態の進展を遅らせている要因があるとすれば、それは議会内の集約がなかなか進まない、即ち、私たち議員サイドの問題です。
その議会も、互いの違いを超えて合意形成に汗することが大事、という認識を共有するようになってきました。

自分が指摘したから何かが改善した、と思い込むのは自由ですが、果たしてそんなものでしょうか?情けなく、悲しい気持ちになります。

一つのことが動き出し、形になるということは、見えないところ、知らないところで、いろいろな人たちの力が積み重ねられてきたんだな…という想像力と謙虚さだけは忘れずにいたい、と強く思うこの頃です。

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