4年前に初めて行い、2年前にも行った、議長にならんとする者が議長選挙前に所信を表明する場が、昨日の議会運営委員による協議会での話し合いの結果、次回(今年6月)には「設けない」ことになりました。
本会議場で公開で誰でも傍聴可能な環境で(ライブ配信も含めて)行っている議会が続々出てきている中、東村山市議会ではそれに異議を唱える議員が少なくない現実を踏まえ、過去2回は委員会室で非公開で議員のみで行ってきました。
それでも、以前のように「誰が議長候補なのかも全く明らかにされないまま会派間の数合わせだけで選挙となり、それでも特定の議員にちゃんと票が入って当選が決まる」という方法よりはずっとマシだと考え、4年前の実現に力を注ぎました。
※お時間ありましたら、以下の4年前、2年間の記事2つをお読みください。
★4年前に初めて実施した時のブログ記事(2013年6月2日)★
★2年前に行った時のブログ記事(2015年5月15日)★
1月から都合3回重ねられた会議の当初、ある会派は、自分たちは会派として議長候補を事前に決めているので、所信表明などしても投票結果に影響を与えない。与えないことを承知でやることは単なるパフォーマンスに過ぎない、という意見でした。
私を含め複数の会派は、少なくとも意思を持った者が自らの言葉で抱負を語る以上は責任が生じるわけで、それを受けて投票を行うことには一定の意味がある。できればそれに加え、質問を受けて答える機会も設けた方がよいという意見でした。
一つの会派は、そもそもパフォーマンスに過ぎないので行う意味がないが、質問を受け付けるのであれば、否定するものではない、と主張しました。
昨日の会議では、所信表明会そのものに否定的だった会派が質問無しを条件に容認に転じ、私を含む複数会派は、所信表明会の継続を優先して質問無しもやむを得ないと判断しました。しかし、一つの会派が質問無しでは意味がないと最後まで譲らず、「合意が成り立たなければ試行前の形に戻す」というルールにより、6年前までの通例であった……市民からは何が何だか全くわからないやり方に戻すことになってしまいました。
結果として「市民に開かれた議会」を掲げて試行錯誤してきた歩みに反する明らかな退行であり、昨日は憤懣やるかたない思いを抱えて会場をあとにしました。
一晩明けて、こんなことすら議会内でその意味や価値を共有できていなかったことが現実、現状であることを直視し、そこから改めて歩き出すしかないと思い直しています。
説得力をもって周囲を納得させられなかった己の未熟さ。
頭に血が上り、感情的になった時点で負けでした。
なぜ議会を変えなければならないのか。
「市民に開かれた議会」を掲げて取り組みを進めてきた意味はどこにあるのか。
議会基本条例を議会自ら定め、不断の改革を明記した責任をどう考えるのか。
「建設は死闘、破壊は一瞬」
今回のことが蟻の一穴とならぬよう、褌締め直してまた頑張るしかありません。