昨日の政策研究会「いのちと心の人権の森宣言を読み解く」は、元国立ハンセン病資料館学芸部長で現重監房資料館部長の黒尾和久さんを講師にお迎えし、2時間しっかり学びました。会場にはメンバー6人と傍聴席に市民の方お2人、zoomを使ったオンンラインにはメンバー2人と副議長、そして8人の方が傍聴してくださいました。
2009年9月議会で議決した宣言ですが、当時の議員25人のうち現在残っているのは7人しかいません。また私は議決に加わった7人の1人ですが、それから13年間、議会として何か動いたのか?と言えば、今回の座長の伊藤真一議員が議長だった時に開催した入所者自治会の方たちとの意見交換だけ。
今年の3月、入所者自治会、全生園当局、地元自治会たる東村山市の三者に学識経験者らを加えた将来構想委員会がようやく立ち上がりました。関心のある議員個人も大事ですが、市民の代表である議会が機関として将来構想の動向を理解し、必要な関りを持って行くことは不可欠なのだと、黒尾さんのお話を伺って改めて思ったところです。
【誰が(who)、何故(why)、何を(what)、何時(when)、如何に(how)引き継ぐのか?】と黒尾さんは問い掛けられました。
宣言は市のHPにも掲載されていますが、以下、全文を記します。http://gashimurayama.tokyo.jp/…/fukyuukei…/senngenn.html
【いのちと心の人権の森宣言】
かつて ハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見 や 差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
ここ 多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る 納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ 望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐ ハンセン病資料館、これらとともに 多くの想い がある。
この地を 第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。
平成 二十一年九月二十八日
東京都 東村山市建立
多磨全生園入所者自治会協賛
東京都東村山市
平成二十二年三月吉日