応援したい人だけを応援できる幸せ~2つの選挙を終えたら秋になっていました

10月15日(日)22時、立川市の都議補選に挑戦していた伊藤大輔さんの当選を確信する一報が選挙事務所に入り、万雷の拍手に包まれました。2か月半にわたって続いた長い長い選挙の夏が、最高の形に結実して終わった瞬間でした。

東村山市議会の9月定例議会が始まった8月30日は、立川市長選が行われた一週間のど真ん中でした。2か月半を少し振り返って書いておこうと思います。

8月に入ってすぐ、大輔さんから電話が入りました。「まさたかさん、わたし、市長選挙に出ることを決めました。」「どうするのだろうと思っていたけれど、腹決めたんだね。で、選挙は11月頃だっけ?」「いえ、9月3日が投票日です。」「え?ちょうどひと月後?え、そっか…」これがスタートでした。

市議として18年目の大輔さんとは、東京21区選出の衆議院議員だった長島昭久さんの選対の一員として出会い、楽しい選挙もしんどい選挙も共に戦ってきた仲です。4年前も今春も、私の市議選をしっかり支えてくれた恩人でもあります。

長島さんは私が中学生の頃の2つ先輩で、高校1年生の時に生涯忘れぬほど助けられたことがあり(長島さんは覚えていなかったですが)、いつかお礼の気持ちを伝えたいと思ったまま30代後半を迎えた頃、何のご縁か私のホームグラウンドだった日野で再会。民主党の衆議院候補として初当選を決めた選挙以来、ご恩返しのつもりで選対の一員として応援を続けてきました。

都議会議員から今回の選挙で立川市長となられた立憲民主党の酒井大史さんが長島選対の本部長を務め、現在は共に都民ファーストの会の都議会議員として今回の大輔選挙の支柱でもあった菅原直志さん(日野市)と内山真吾さん(昭島市)も、共に汗した仲間です。

その後、民主党の分裂、都民ファーストの会の誕生、希望の党の誕生と解散、長島さんの自民党入り等々(順番合ってるのかな?)と、まあいろんな変遷があり、今日に至ります。

その間、私だけは何一つ変わらぬまま、どこの政党にも所属しない東村山市議会議員としてやってきたわけですが、組織に属さない最大のメリットは、応援したい人だけをとことん応援できることにあります。世の中には、応援したくもない人を組織の事情で応援することや、心にもないことを言わなくてはならない選挙が山ほどありますが、私はこれからもノーストレスの自分のスタンスを貫こうと思っています。

今回の市長選挙では、かつて同じテーブルを囲んでいた酒井さんを向こうに回し、菅原さんと内山さんと共に大輔さんの勝利のために1か月間がんばったものの、9月3日には予想以上の大差での敗戦。自民党の市長候補の応援に長島さんが駆けつけたと聞いて、今の立場を考えれば当然のことだと理解しながらも、複雑な思いもよぎりました。

選挙の様子はこんな感じでした。

最初から都議選狙いだったのではないか?という声も耳にしましたが、近くで見ていた者として、それは違います、と言い切れます。彼は市長選挙に本気で勝つつもりで挑み、破れました。それだけにダメージも大きく、どん底の敗戦から気持ちを奮い立たせて1か月後の都議補選に再び挑戦することはハードルが高すぎると私は思いました。選挙の構図としても厳しいと正直思っていました。

しかし、再び決意した彼を、立川青年会議所で共に汗した仲間の皆さんを中心に、携わった方たちが我がこととして徹底的に支え続け、前進を試み続けました。

むろん、都民ファーストの会公認として挑んだことの意味は極めて大きく、小池都知事の影響力が依然として衰えていないことも、選挙カーを連日走らせていて肌で感じる選挙でもありました。

とにもかくにも、大事な仲間が新たなステージで活躍するチャンスを得られたことは、我がこと以上に嬉しさが込み上げて来ます。

最後に投票率です。市長選挙は37%、都議補選は27%台でした。残念ながら、ほぼ自分の予想通りでした。その予想を覆したいという一心で今回も徹底的に頑張ったつもりですが、4人に3人は投票しない選挙という極めて厳しい現実を突きつけられました。

やはり「最大の敵は無関心」であり、学生時代に心に決めた私自身の生涯テーマとして少しでも前へ進めなければと改めて思っています。

コメントは受け付けていません。