5年前のあの日と同じように、今日も予算特別委員会の席にいます。
今は休憩に入り、市長の庁内放送が続いています。
間もなく14時46分です。
あの日、私はちょうど質問者席で総務費の質疑をしていました。リニューアルされた市のHPが災害時には仕様が変わるようにできているのかを質疑した5分後くらい、協働のマインドを全庁に徹底することを求めた質疑に対し、当時の市民協働課長の大西さん(現・市民部次長)が答弁をしている真っ只中、ものすごい突き上げに続き、経験したことのない横揺れが襲いました。
必死に机につかまり収まるのを待っていたら、さらに強い横揺れが…。
会議録は大西課長の
「市民協働の実態概念は、今、佐藤委員が申し上げたとおり、非常に幅広く、個々の職員や所管によって考え方に幅があることから、御質疑どおり、全庁的に市民協働の考え方やルールなど、担当所管によって、また……」で終わっています。
14時48分、委員長を務めていた田中富三副委員長が休憩を宣告。全職員と議員は階段を使って1階まで降り、外へ出ました。
同じく庁内から退避した方々と玄関前に立ちつくしている間、向かい側の中央図書館の大きなガラス窓が余震が起きるたびに音を立ててたわみ、恐怖の時間が長く続きました。
30分ほどしてその場で招集がかかり、屋外で立ったまま委員会は再開されました。
当日の会議録はこう続きます。
午後3時20分再開
◎山川委員長 再開します。
ただいま再開いたしましたが、このような状態ですので、本日はこれで終了します。
なお、次回の委員会については、週明けに連絡いたします。本日の分については、16日に行うことになると思いますので、よろしくお願いします。
本日の予算特別委員会は、以上をもって終了いたします。
午後3時21分閉会
本庁舎は耐震が不足しているために立入禁止とされたため、しばらくしてようやく隣のいきいきプラザに入りました。
その階ロビーのテレビに映っていた、沖合から襲い掛かる津波の白い波頭が今も忘れられません。
当日の会議録は、次の記述で終わっています。
【事務局付記】
・午後2時46分、「東日本大震災(マグニチュード9)」発生。
・「午後3時20分再開」以後は、避難した本庁舎正面入り口前広場での会議である。
東村山市議会委員会条例第30条の規定により、ここに署名又は押印する。