3月議会閉会後の先月27日(日)午後、勉強会に参加していた法政大学市ヶ谷キャンパスで突然変調を来し、中座。
帰路の四ツ谷駅のトイレで動けなくなって救急車で慶應義塾大学病院へ搬送され、緊急手術、そしてそのまま入院。
これまでSNSでしか報告できておらず、こちらに記すのは初めてとなります。
病名は大腸憩室出血。大腸にできた憩室というものが近くを走る血管に触れてそこから出血する病気で、多くの場合は静脈や毛細血管であるために大事に至ることは少ないのですが、私の場合は運悪く動脈にあたってしまい、突然の大量下血ということになったそうです。
普段は130/80ほどの血圧が搬送直後は90/60ほどで、処置中にどんどん下がって行ってモニターに55/33と出たのを見た時には目を疑いました。当然、輸血が増やされ、脚の付け根からカテーテルによって出血中の部分を直接止血するという手術が施されました。
その後2日間はHCUで過ごし、火曜日に一般病棟へ移り、今日に至ります。
今も、昨日から今日にかけて同部屋の方たちが次々と退院され、静かになったA4E棟411号室からこれを書いています。
そして今朝(4月4日)の血液検査を受け、お蔭様で水曜日(6日)の午前中にはに退院できることになりました。
ただ、肝臓関係の値が髙く、これは痛み止めをたくさん入れた影響と考えられるそうで、今日午後に肝臓のエコーを受けました。水曜朝にもう一度血液検査をするのですが、退院はほぼ間違いないと考えてください、とのことでした。
木曜日夜からは痛風と思われる足の痛みに大変苦しめられましたが、靴を履いてゆっくりと外へ桜を見に行けるまでになりました。
一時は輸血、点滴、酸素、排尿…等々、8本もいろんな管がつながっていましたが、それも今日で全て外れ、四ツ谷駅で失神した際に切って3針縫合した額の傷も、抜糸が済みました。
病気の性質上、多少の前後はあっても、どこで何をしていようが、恐らく同じことになっていたのだそうです。
緊急対応力が最も充実している地域で発症したことはむしろ幸運であったのだ…とじわじわ実感しています。
大学病院である上に年度替わりでもあったことから、何人もの若手の先生にお世話になって過ごしているのですが、皆さん口々に「危ないところでしたね」と笑顔でおっしゃるので、「あぁ、オレ危なかったんだ…」と思い知らされたりしています。
突然の発症、緊急入院&手術から本日で9日目。
ご心配や励ましのメッセージをたくさんいただき、乗り越えることができました。本当にありがとうございました
お忙しい中、病室まで足を運んでくださった方もあり、感謝に堪えません。昨日は旧知の菅原直志日野市議も来てくださいました。ご本人よりも病床の私の方がまだ肥えているのはお恥ずかしい限りですが(^_^;)
弟は、おかしな本を手に訪ねてきてくれました。
食事は、流動食という名の液体盛り合わせが2日続いた後、三分粥、七分粥、全粥、全軟、そして昨日昼から常食となりました。
赤ちゃんが辿る道のりを52歳にして再び短期間で歩んでみて、人は食べた物を食べた分だけ、食べた状態に応じて排泄するものなのだと再確認しました。
決して大食漢ではないのですが、それでも不要な分まであれこれと摂取して、太っただの痩せなきゃだの繰り返してきたのだということもよくわかりました。
早食いも常で、同じ量の定食を早く食べようがゆっくり食べようが摂取カロリーに違いがあるわけじゃないし…などと言ってましたが、これもそういう問題ではないのだとわかりました。
よく噛まないで食べることは、太るからダメだというよりも、自分の内臓を痛めつけることになっているのですよね…きっと胃も大腸も「俺たちももう少し休ませてくれ~」と日々悲鳴を上げていたのだと思います。
食べることも飲むことも大好きで、ドクターにも止められたわけではありませんが、ここまで大過なく持ちこたえてきた自分の身体が悲鳴を上げたことを真面目に受け止めて、もう少し労わって生活しなければいけないことだけは確かなようです。
繋いでいただいた命であり、人生はいつまた何があるかわからない、ということを肝に銘じ、今回ばかりは鈍行運転で完全復帰を目指そうと思っています。
引き続きご迷惑をお掛けすることも多々あるかと思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。