突然の救急搬送、入院から11日目の4月6日(水)午前、お蔭様でお世話になった慶應義塾大学病院から退院することができました。
一日おいて8日(金)の朝一番で外来で血液検査と診察に受け、その帰りにようやく議会に顔を出し、議長や同僚議員に経過を報告し、たくさん労っていただきました。
昨日は会派会議と政務活動費の精算作業、今日は広報広聴委員会と代表者会議を終えましたが、やはり早目に疲れてしまう感覚です。
開腹手術をせずに済みましたので、自覚的には元通りに近いのですが、血液の値はいろいろまだ不十分。ひと月くらいかけて少しずつ回復、充実を図っていきたいと思っています。
改めまして、ご心配いただいたことに心より感謝申し上げます。
さて、退院前にも書きましたが、時限爆弾のようにあの前後のタイミングで発症していたことは間違いないので、同じ倒れるのであれば最も運のよい場所で倒れたのだと思っています。
またあの日、市ヶ谷駅から乗った総武線直通電車から快速電車の走る中央線ホームへ乗換えをしようとした直後に大量下血に伴う貧血に襲われたわけですが、実は、階段を下って行った私の目の前を足の悪いお年寄りがゆっくりゆっくり歩いていたため、「あ~それに乗りたいのになぁ…」と思いながらホームにいた青梅特快を見送ったのでした。
もし、あそこにあの人がいなかったら、私は早く帰りたい一心で特快に転がり込んでいたことは間違いありません。
そしてきっと、西へ向かって走る中央線の中で変調を来し、良くて途中下車でどこかの病院へ搬送、悪ければ意識を失っているところを気が付かれ、手遅れになっていた可能性が高いと思われます。
滞りなく輸血を継続でき、24時間体制で担当医師がいる病院に運んでいただいたからこそ、つながった命。
何が人生を左右するかわかりませんし、運が良いとか悪いとかいうことも、後になってみないと全くわからないものなのだなぁ…と思います。
私が敬愛する松野豊さん(元・流山市議会議員)が、2013年に突然の病に倒れられた時に、ご自身のブログに「4/11は僕の新しい誕生日」という記事をアップされていたことを、今朝の松野さんのFacebook投稿で知りました。
もちろんすっかりお元気になられ、多方面で八面六臂のご活躍をされていますが、その記事を読ませていただき、しみじみ感じ入るものがありました。
今日の自分の記事に同じタイトルを付けさせていただき、この思いを忘れぬよう刻みたいと思います。
ありがとうございます。