「人権の森宣言」を学び直す

昨日午後、「いのちとこころの人権の森宣言を読む」に滑り込みで参加しました。これは8月3日から15日まで中央公民館を会場に催されている「夏休み ハンセン病問題を知る企画~Fさんの人生を通して」のひとコマとして開催されたものです。

全生園内の石碑に刻まれた「いのちとこころの人権の森宣言」は、全生園100周年にあたる2009年の9月2日に東村山市議会本会議において渡部市長より議案50号として提案され、審議の上で議決したものです。

会場の展示パネル「ごあいさつ」にはこうありました。

「この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐ」としたこの宣言を実現するためには、私たち市民が関心と理解を深める必要があります。」

あれから12年経ち、当時を知る議員は現在の25人中7人しかいませんが、昨日は、議決に加わった一人として、改めてその意味をきちんと理解しないといけないという思いで参加しました。

講師を務めてくださったのは、3年ほど前まで全生園内にある国立ハンセン病資料館の学芸員として活躍され、現在は国立療養所栗生楽泉園「重監房資料館」の部長さんである黒尾和久さんでした。

誰が、何故、何を、何時、如何に引き継ぐのか…と話し始められると、専門的な見地から、5つの文章でできている宣言を一つひとつ丹念に読み解いてくださり、その背景、込められた思い、歴史的意義、厳しい現実、これからの課題等々、2時間があっという間に感じるお話でした。

終了後に初めてご挨拶申し上げて少し立ち話をさせていただけたことで、大いに考えさせられることがありました。私の立場でできること、しなければいけないことがあると感じましたので、さらに学び、動きたいと思います。

また、青葉小学校6年生の人権学習とその展示についても、担任の先生にお話を伺うことが出来ました。真正面から取り組んでいらっしゃることに敬意と希望を感じました。

企画くださった実行委員の皆様、どうもありがとうございました。

私たち議員は、議会という機関として議決した宣言の内容を深く知り、考え、顔ぶれが替わっても語り継ぎ、引き継ぎ、宣言を宣言に終わらせないことが使命だと強く感じました。そのためには、学びの場の共有、継続も必要です。

明日は回復者の方のお話が14時からあるそうですし、1階展示室での展示や映画会などの企画は15日(日)まで続きます。タイトルにある「夏休みの宿題」として文字通り親子で訪ねるもよし、大人の「宿題」として知り、考えるきっかけにするのもよし、と思います。ぜひお出かけください。

いのちとこころの人権の森宣言

 かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
 ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
 この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
 いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
 私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。

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