保育所・空飛ぶ三輪車が新たに施設整備を行うことになり、昨日(7月12日)行われた地鎮祭に参加させていただきました。
今から24年前、1999年9月の夜、その夏に知り合ったばかりの青年の案内で、この園舎を初めて訪ねました。↓
私にとっての東村山との出会いであり、原点です。
昨日は、旧園舎が解体された跡地に張られたテントの下で、三輪車らしく、保育所の子どもたちもスタッフの皆さんはもちろん、地域の方たちも、卒園児のおばあちゃんらも参加。
なにより、大きい子(三輪車では年長や年中をそう呼ぶ)たちが、建設を担ってくださる相羽建設さんによって進められる伝統的な儀式に真剣な表情で臨んでいる姿はかわいらしく、こうして一つひとつを大事に進めることに胸打たれました。
住宅地の中にあるので、地域の皆さんのご理解あっての場であり、保育所としてもそのための努力を重ねて来たからこそ今があるのだということも改めて感じました。
当時からの職員やスタッフや若い人たちにも会えました。
私個人としても言い尽くせぬほどお世話になった大家さんご夫妻は90歳を超えて揃って施設に入られているそうですが、息子さんに初めてご挨拶もでき、代がかわっても温かく支えてくださっていることを本当にありがたく感じました。
「空飛ぶ三輪車」は、土屋敬一さんご夫妻によって1981年に開設されて以来、
・自然にとけ込んで思い切り遊ぶ保育
・温かい人間関係、地域の人たちとの交流を大切にする保育
・赤ちゃんから学齢までの小規模異年齢集団による保育
・子どもたちを比較したり、競争させたりしない……みんな違ってみんないい
・どの子も(「障がい」や「遅れ」のある子も)一緒に育てる
・保育所にはいつ、だれが遊びに来てもいい……見える保育・開かれた保育
を掲げて、地域密着の保育所として42年間運営されてきました。
私はその中の僅か3年半ほどスタッフとして勤めただけですが、人生の後半戦を決定づける人たちとここで出会い、学び、濃密な日々の中で多くのことを教えていただきました。
議会に出てからもいろいろなことがありましたが、こうしてお祝いの席に声を掛けていただけることに感謝しかありません。
保育者となって帰って来た卒園児も、親子2代で通う人たちも少なくありません。バトンは継がれ、新しい歴史がつくられていきます。