東村山の巨星墜つ

昭和42年から16年間にわたり東村山市長を務められ、後に名誉市民となられた熊木令次さんが、24日(土)にお亡くなりになったとの報を受けました。享年93歳。
市長を退かれて32年余り、つい最近まで様々な分野、特に福祉や緑の分野で多くの市民の支えとなる活動を続けておられ、お元気なお姿を拝見していました。
私は熊木さんが現役市長でいらした頃は全く知らないわけですが、いつどこでお会いしても物腰がとっても柔らかく、偉ぶっているところなど微塵もない方でした。

平成16年12月議会の最終日に当時の市長から提案され、議会として同意の議決を行って名誉市民の称号を贈られた熊木さんは、年が明けてからの議会だったと記憶していますが、本会議場で登壇されてご挨拶をなさいました。
ご挨拶と言うよりは、記念講話といった方が適切だったように思います。私は議会に入ってまだ2年目でした。

その時、議場に入る廊下で共産党の議員から「私たちとは政治的な立場は違ったけれど、別格の人格者。私は以前、福祉現場にいたが、利用者も職員もみな尊敬していた。」と聞きました。

登壇されてのお話は、残念ながらどこにも記録されていない(私がブログを始めたのもその直後…)ようですが、何のペーパーも持たずに様々細かな数字をまじえ、過去から現在の東村山市を自らの言葉で語られる姿に、「すぐに市長に戻っていただきたい!」と真剣に思いながら聴いたことを今も鮮明に覚えています。

東村山の巨星墜つ。
本当におつかれさまでした。また、ありがとうございました。
衷心よりご冥福をお祈りいたします。

※名誉市民については、市のHPのコチラをご覧ください。

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