活動レポート89号ができたので、久しぶりに東村山駅西口に5時45分から8時35分まで立ち、「おはようございます。今朝は新しいレポートをお渡ししています」とボリュームを抑えた肉声でお伝えしながら、配らせていただきました。
かつて11年間経ち続けたペデストリアンデッキの上は、スクランブル交差点の真ん中に立つような感じで、4方向から改札に急ぐ人たちに対してメインの流れを遮らぬよう13.5度くらい斜めに立ち、前方向から来る人もキャッチする、という自分なりに培ったテクニックを駆使していました。
しかし一昨年11月末で駅の改札口が2階から地下に変わり、ペデストリアンデッキが通勤・通学に使われなくなってからは、階段口の狭い地上部分のどこに立てば邪魔にならないようにレポートを手渡せるのか?を考えているうちにコロナの広がりで見合わせることにし…。
以来、コロナのせいにしてきましたが、実際には自分自身の怠け癖です。1年半近くが経ってしまいました。
今朝は声を抑え気味にしてアルコールスプレーを小まめに使いながら、やってみることにしました。
実は殆ど受け取ってくださらないかな?と覚悟して立ったのですが、終わって数えてみると150枚近くお渡しできたことがわかりました。以前と違って一方向からの人にしか渡せない動線であることを考えると、大変多くの方が受け取ってくださったことになります。
「久しぶりですね」「全然見なかったじゃないですか」「元気だったんですか?」等々、お声がけくださった皆様、本当にありがとうございました。全くもってお恥ずかしい…。
「ご無沙汰で申し訳ありません」とお詫びしながらレポートをお渡しし、少し距離を置いたままで近況を伺えた方も何人もいて、とっても嬉しくなりましたし、責任も感じました。
志村けんさん亡くなる直前まで専属運転手を5年にわたって務めていたのでずっと気になっていたTくんのお父さんとか、3月に亡くなられた三島さんを慕う仲間たちとか、2年前の選挙時の「まさたか」に顔を出してくださった方とか、保育所職員だった頃の園児のお父さんお母さんとか…。
また、久しぶりにお会いできたことで、ご相談を受けたのに殆ど改善できないままになっている危険な通学路のことや、劣化が激しい駅前広場の路盤のこと、駅周辺のバリアフリーのこと等々、宿題として改めて突き付けられたこともあります。
コロナの終息は全く見通せませんが、すべき対策をした上で、どんどん街の中へ出ていくことが責務だと感じました。紙版のレポートも頻度上げて発行できるよう努力します。