今朝は5時35分から8時40分までレポート78号を携えて東村山駅西口に独り立ち、235人の方に受け取っていただきました。
「Facebookで見ましたよ」とお悔やみを言ってくださる方、「毎回楽しみにしているので、頑張って」と肩をたたいてくださる方、「おはよ」と笑顔で声を掛けてくれたのは保育所に勤めていた16年前に2歳だった女の子…。手作りチョコと熱いコーヒーをくださった方もあり、涙。人の流れが途絶えた隙に急いで流し込んだコーヒーは食道にしみわたって胃へと届きました。どうもありがとうございました。
以前は年配の方が受け取ってくださった印象ですが、最近は30代~50代前半…つまり私よりも若い方たちが受け取ってくださることがの方が多いように思います。それから今朝も、もちろん大勢ではありませんが、高校生が2人、大学生くらいの方が3人、手に取ってくれました。若い人が読んで面白い内容にはできていないので、もっと読みやすい、読みたくなるものにせねば…。できるかな(^^;
掲載内容を画像と、以下テキストでもアップします。
【オモテ面】
『3月議会が始まります』
2019年度の予算案を中心に、市民の皆さんの生活に直結する多くの議案が市長から提案される3月議会。来週22日(金)から3月26日(火)までの予定です。4月には選挙を控えていますが、皆さまに与えていただいた4年間の任期を最後の一日まで誠実に全うすることが現職としての大前提だと考えていますので、代表質問、厚生委員長としての委員会運営、予算審査等、十分な準備を重ね、これまで通り全力投球した上で、決戦に臨みます。どうぞよろしくお願いいたします。
『新年度予算案の概要』
★西武線連続立体交差や東村山駅周辺整備に新年度は約17億円(完成予定は2024年度)★児童クラブを市内4つの小学校(北山小、回田小、秋津小、大岱小)内に新たに整備(開設は2020年度)★市立第2、第6保育園を4月から民間移管★市職員の働き方改革、ICT活用を推進★東村山駅東口からスポーツセンターへの通称さくら通りが夏に開通 等
これらを踏まえ、2月26日(火)には土方(自民)横尾(公明)山口(共産)各議員と私が代表質問に立ちます。私は15時過ぎだと思われますが、ぜひ傍聴やインターネットによるライブ配信でチェックいただきたいと思います。
『プロフィール』
佐藤まさたか 東村山市廻田町2-21-13 042-398-52651963年日野市生まれ/86年慶應義塾大学経済学部卒・中学高校社会科教員免許取得/社会教育、野外教育、保育、学童クラブ等、子どもの現場を中心に勤務後、政党や団体に属さない完全な無所属として4期目/現在は厚生委員長・広報広聴副委員長として全国の議会から視察を受ける/マニフェスト大賞2016で最優秀政策提言賞、2015と2018では優秀賞を受賞
【ウラ面】
『佐藤まさたか市政報告&情報・意見交換会 「第57回さとっちカフェ」開きます』
2/17(日)午後2~4時/市民センター第4会議室
3月議会で審議する議案や陳情を、議会で議論する前にお越しくださった皆さんにそっくりお見せし、現時点でわかることは私なりにご説明し、ご意見を伺いたいと思っています。この集まりは、私を支持するとかしないとか全く関係なく、最新の情報が手に入る一つの場だと思って開催していますので、お一人でも、お友達を誘ってでも、どうぞお気軽にお越しください。時節柄、市議選や市長選の話にもなるかもしれませんが、できるだけ客観的に私の知る限りのことをお伝えし、情報交換できればと思っています。
『どんな問題に取り組んできたの?』
前回の「なぜ議員になったの?」と同じくらい尋ねられるのが「どんな問題に取り組んできたの?」です。
劣悪な環境が心配された認可保育所新設問題がきっかけとなって議会に飛び込みましたが、1期目(2003~2006年)はその後、「八国山の一部を削ってのマンション建設」「本町都営住宅内の桜並木伐採」「栄町3丁目のマンション新設による日照権」…と、いずれも「他の議員に相談したが断られた」と相談に来られた方たちの声を受け、地域の難しい課題に取り組むことになりました。議会で取り上げると共に、東京都や関係機関へ出向いて調査や情報収集を行い、当事者の方たちと共に解決を目指して動きました。
極めつけは「東村山駅西口再開発」問題。100億円以上の税金を投じる計画でありながら、情報が明かされないまま進められていることに異議を唱えた方たち共に、市主催の市民説明会を実現させ、「現計画のまま進めることの是非を問う住民投票」を呼びかけました。
当時は「反対派」とレッテルを貼られましたが、実は「巨額を投じるにしては水準の低い計画であり、未来に誇れるまともな内容にすべき」という方も大勢おり、私たちが真に問うたのは「市政の見える化」でした。18,000筆の署名を添えて議会にかけられた住民投票条例案は1票差で否決されましたが、これを機会に当時の市長は退陣を表明。公開と参加を旨とする今の市長の誕生へとつながった東村山市史上最大の出来事となりました。(続く)