私はなぜ議会に飛び込み、なにを追ってきたのか(後編)

おとといアップした 、日経グローカル 2014年2月号 に掲載された

「情報こそ自治の源泉」全員がプレイヤーの自治体をめざして

の後編です。

議会改革の原動力は共に汗すること

 一方、私自身が身を置く議会も、ここ4年ほどで変化を遂げてきました。「変えよう!議会・東村山」というベタな名称の会派を3名で結成した2009(平成21)年には、当時の正副議長に「スローガンのようで変だ」「我々が変えるべきは行政であり、議会を変えるとは意味不明」等と叱責され、修正を求められたものですが、先進議会への視察や、議会改革をテーマとした市民と共に学ぶ講演会の開催などを通じて、少しずつ課題意識の共有と信頼関係の醸成が図られていきました。

 改選を経た2011(平成23)年6月には「議会基本条例制定を進める特別委員会」が全会派参加でスタート。課題抽出の議論から始め、市民へのアンケートや議会としての報告会、それらを周知する超党派での街頭活動、ポスターやチラシ、回収箱等の手作り等々、議会を挙げて議論と作業を重ねてきました。昨秋実施した条例案へのパブリックコメントは127件に及び、その回答についても10時間以上かけて一つ一つ議論し、確定していきました。

 また条例の議論と並行して、議会報への全議員の賛否一覧表掲載、本会議の録画配信、ツイッターでの情報発信、市議会HPへの議案全文の掲載、予算・決算委員会のユーストリーム配信等、できる改善を重ねてきました。

 2年半かけて制定した議会基本条例は、本年4月1日施行となるので、現在は報告会や傍聴、広報広聴等のルール作りに取り組んでいます。この間、議会事務局が議員と思いを共有し、主体的に動きを作り続けてくれていることが重要なエンジンとなっていることも記しておきたいと思います。

全体主義と自治後退の波の中で

 国政では政権交代が2度にわたってありましたが、地方自治体の一人の議員としては今、現政権の姿勢に大変大きな危惧を抱いています。

 それは、国家主義、全体主義の台頭=民主主義の否定、分権・自治の否定ということに他なりません。特定秘密法の成立の仕方は、情報公開と説明責任とは真反対を行くものでした。今後、地方自治体にも必ず負の影響を与えるでしょう。政権与党の改憲草案は、言論の自由や知る権利を「公益及び公の秩序」を理由に制限できると明記しています。

 私は地方自治の最前線で、目の前の市民生活にひたすら向き合いたいと思っていますが、国は国、地方は地方と言っていては取り返しのつかないことになるのではないか、という思いが自分の中で日に日に高まっています。

情報は市民のもの

「東村山市みんなで進めるまちづくり基本条例」第9条には、「市は、市が保有する情報は市民のものであるとの認識に立ち~」と明記されました。今だからこそ、の価値を感じています。

 12月議会の私の一般質問「オープンガバメントで自治と協働を加速させよう」に対し、市長は「情報公開と情報共有は生命線であり、公開と提供は当たり前。これからはいかに二次利用できる情報を市民に提供するかが、自治と協働の質を決める。加工しやすい情報の提供は、市民が政策を考えることに資する。先進市だと言われるよう頑張っていきたい」と答えました。

 11年前の今頃、議会の傍聴席から見えたあの景色とは隔世の感すら覚える瞬間でした。

 しかし、目指すべき姿からすれば、まだ緒に就いたばかり、という状況です。

 情報が提供されても、活かされなければ価値を持ちません。オープンデータ化、オープンガバメントへの歩みを確実に進めながら、一人でも多くの市民、国民が、当事者として大事なことを議論して決めていく、他人事から自分事として捉え直すきっかけを少しでも多く作っていきたいと考えています。

 誰も排除せず、互いの違いを認め合いながら、合意形成にともに汗する。全員参加でともに生きるまちをつくる。東村山という都市近郊の小さな町からその営みを続けていきたいと思っています。

夜まさたか&朝まさたか

ずっと開いてきた「さとっちカフェ」の特別編として、私自身の取組みを簡潔にお伝えし、身近な疑問にお答えしたり、ご意見を伺う機会と考えています。

【夜まさたか】
①4/5(金)夜7時~ ②夜9時~ ③4/8(月)夜6時半~ ④夜8時~ ⑤夜9時半~

【朝まさたか】4/8(月)①朝7時~ ②朝8時半~

★「発表会」ですが、「質問会」でもあります。なんでも聞いてください

★佐藤まさたか支持・不支持は関係なし

★お名前を書かせることもありません

★予約不要 お気軽にご参加ください

今回からは、サンパルネ2階の会議室(24名定員)をお借りして、1時間ほどを考えています。小ぢんまりとした集まりになると思いますので、大きめの集まりよりもお互い話しやすいのではないかな、と思います。

ご参加お待ちしています(^^)/

私はなぜ議会に飛び込み、なにを追ってきたのか

4期16年間の中で、何度か雑誌やネット媒体から原稿を依頼されて苦悶しながら書き上げたことがあります。

その都度、慣れない締切との闘いでしんどかった記憶がありますが、しばらく経ってから読み返してみると、その時々の自分なりの思いや、取り組んできたことがそれなりにまとまっていて、貴重な機会をいただいたのだな…と今さらながら感謝の思いが湧いてきます。

ということで、5年前の2014年2月、日本経済新聞社が発行している伝統ある業界誌「日経グローカル」の「奮闘 地方議員」で取り上げていただいた原稿を今日は掲載してみたいと思います。

私がなぜ市議会に飛び込もうと思ったのか、飛び込んでから何を追求&追及してきたのか、5年前に何を考え、どこを目指していたのか。自分で書いたものですが、その後の5年間、どれだけ頑張れたのだろうか?と背筋が伸びる思いもします。

長いので、前編&後編として2回に分けて取り上げたいと思います。

プロの校正が何度か入ったもので、いつもの私の文章より読みやすくなっていると思いますので、ぜひご一読いただけたらと思います。

http://www.nikkei.co.jp/rim/glweb/mokuji/237mokuji.html

「情報こそ自治の源泉」全員がプレイヤーの自治体をめざして

私たち東村山市議会は昨年12月議会の最終日に、市長提案の「みんなで進めるまちづくり基本条例(いわゆる自治基本条例)」と議員提案の「議会基本条例」をともに可決、成立させました。

いずれの条例も今さら珍しいものではありませんが、自分自身の歩みに照らし、一つの到達点としての感慨を抱きつつ2013年を締めくくりました。

 開園間近の保育園名が個人情報!?

2003(平成15)年3月、市議会への挑戦を決断して翌4月に26人中18位で初当選。無所属の一人会派「希望の空」として、右も左もわからない世界での日々が始まりました。

直接的なきっかけは、水面下での計画が発覚した個人立の認可保育園問題でした。規制緩和に乗じたような基準ぎりぎりの中身とともに、市は「個人立なので、個人情報にあたる」とし、公開請求された書類の園名や重要箇所を黒く塗りつぶしてきました。私は、市内の保育・教育関係者の皆さんとともに「待機児童の解消は、保育の質を確保し、多くの関係者の協力が得られる公明正大な方法で行うことを求める請願」を議会へ提出し、行方を見守りました。

審査が行われた厚生委員会では、「全額公金で運営される認可保育園が3か月後に開園しようというのに、園名も設置者名も明かさないのはおかしい」と各議員が追及。紛糾の末に呼ばれた情報所管が、「個人情報には当たらない」と答弁し、ようやく最低限の状況が明らかに。お粗末なやり取りの連続に、傍聴席の一市民として、「この行政は何かがおかしい」と強く感じました。

問い続けてきた「情報公開」と「説明責任」

議員として活動を始めてみると、その思いはさらに深まりました。

約100億円の税金を注ぎ込み、狭い駅前に超高層ビルと広場等を計画していた再開発事業では、「組合施行」という手法のために大部分が情報公開の対象外とされ、市民への説明会開催もなかなか実現しませんでした。工事入札への疑義を追及しても、「主体は再開発組合であり、市に直接の責任はない」と答弁。

この状況に危機感を抱いた方たちが起こした行動は、「東村山駅西口再開発事業を現計画のまま行うことについて市民の賛否を問う住民投票条例案」の直接請求でした。市内各所で説明会開催と街頭活動を展開し、1か月の法定期間内に約1万8千の署名を集め、市長に提出。2006(平成18)年11月のことです。

議会では、住民投票制度推進を語る議員のよもやの反対によって1票差で否決され、住民投票は実現に至りませんでした。しかしその直後、事業を牽引し、4期目へ出馬確実と言われていた市長が突然の退陣表明。市長選挙では勝てないと判断した周囲から強い働きかけがあったと言われました。

直後の市長選は、2名が再開発反対や見直しを掲げたのに対し、後継候補だった現在の市長は、「参加と協働」「常設型住民投票制度を含む自治基本条例の制定」という手法の転換を前面に打ち出し、当選。保守か革新か、与党か野党かという旧来の構図からの脱却、そして何より「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」の市政からの転換に舵が切られた瞬間でした。

その後現在まで、情報開示とともに公募委員の拡大、無作為抽出等の様々な手法を用いての住民参加が進められ、これまで市政に関わることが少なかった方たちの姿や言葉も次第に伝わるようになってきました。(後編に続く)